大学受かってかんがえること。

まだ実感沸かないので詳しくはいいません。

しかし思うことがあるのでそれをつづります。

あまり受験らしい受験もせず、受かってしまいました。
しかし別段楽な訳ではないです。
好きなことをしていたら芸がついた、芸が身を助けたという形です。

さて、僕は中学受験をして、進学校に進みました。
じゃあどうして進学校に進んだのでしょう。
進学したかったからでしょうか。

進学塾に入ったのは、知りたいことがたくさんあったからです。
自分にはまだまだ分からないこと知らないことがあって、
ぼかしてある表現の先を読んで本当はどうなっているのか、それを考えるのが楽しかったのです。

小学生で、物事を教えてくれるところ、
ちゃんと新しい世界の見れる授業(つまり学校の授業の解説ではない授業)を受けれるところ、
そのひとつが進学塾だったのです。

ものづくりが、ずっと最初のころからすきでした。
7つ上のいとこと紙で模型飛行機を作ったり、ナイフでバルサを削って車の模型を作ろうとしたのはいつの日か。
そういえば赤ん坊のころ最初に発した言葉は「ぶーぶーかっこいい」

カニカルなものや、生身の人間にはできないことを達成する英知の偶像にあこがれて。
人間のもつ膨大な知識の前に、人類のこの先の希望を持っています。
そうして、いつかは知識を整理して身につけて、知りたいことをどんどん知れるようになりたい、そう熱望していました。
それだから、無知でよいとする考え方や、所詮は人間は被造物であるとか人間は有限の可能性を生きているただの動物であると考える考え方や、死そのものに空恐ろしいものを感じていました。


進学塾にはいったのは、そして進学校に入ったのは、私にとってよいことだったといま振り返ります。
たしかに、量的関係を大切に論理的に考える力は他でも身につきます。
図鑑を眺めて過ごす少年時代も悪くない。
でも、一緒にものを考え、議論する友人を得られたのは、レベルの高い進学校に進んだからだとおもいます。
(そういう友達に出会える蓋然性が、そうでない環境より高いという意味)

ところが、分からないを知ろうと仮説を立て、議論をし、検証してみて学ぶ姿勢は進学校でも身につきません。
これはありがたいことに、幼稚園のころから交流のあった科学教室の先生について行って、
その教室に小学校の時代通っていたことがいちばん大きな影響を与えていると思います。
まさに上であげたことを大切にする価値観が身につきました。
しかし、その代わり、不条理に対して反感を強く抱くようになりましたし、合理性のかけた考えを言い張ったりする人と仲良くする力は身につかなかったのかもしれません。

とはいうものの、一番ゆきたかった中学校は落ちました。
もしそこに受かっていたら、また僕の人生は変わったものになったかもしれません。

今の学校の、中学の1年、最初のクラス以来の友人に出会うまでコンピュータそのものに興味は余りありませんでした。
親の仕事柄、何かを作っていくものという面で、工具に近い印象は抱いていましたが、
当時のPower Macintosh G3が子供に見せられるコンピュータのおもしろさはCGぐらいでした。

また今の部活に入るまで、コンピュータを科学するという発想が余りありませんでした。
あくまで遊ぶプラットフォーム、もしくは図鑑のちょうちょと同じ意味での知識欲ばかりが目立ちました。

私は、一番ゆきたかった中学校のなにがよいと思ったか、それは生物部がおもしろそうだと感じたからです。
エンジニアリングも興味があったけれども、自分がやる対象だという認識があまりなく、
知識を得ることが十分たのしかったのです。
それにくらべて、生態や知能の研究のたのしそうなこと!

そうして、今の学校に入って、運動部をやらされてやめたあとはやはり(科学部という名前ではあったけれども)生物部にはいり、粘菌の観察をしたりしました。



縦に掘り下げた知識が、よく理解した知識とつながり、新しいその縦の知識がよく理解したものとなるたのしさ。
別の穴のつもりで掘り下げた知識が隣や反対側の知識とつながったときのたのしさ。
そういったものが原動力になっていたのか、いろんなジャンルの知識に楽しさを感じました。
とくに原理の本質理解ほどのよろこびはありません。
ああ、あれもこれも、こうした原理があるから起こり得るのか、ははぁなるほど。と。
それは人間にまつわること、たとえば神話や哲学、宗教にまで及びました。

学校でいろんな分野を勉強し、自分の部屋の図鑑も偏りなく、メカニカルも生物も人文も好きで、
芸術にまで興味があって、だからたとえば日本史や政治経済のような授業が中学で終わってしまったとき、
また1年しか世界史が学べなかったとき、とまどいを感じました。
「どうしてもう勉強しないという分野があるのだろう」

すこしずつ諦観というか、人類は有限なんだという見方にも馴れ、
むしろそれだからできるだけ文明を永らえさせて、本質を窮めて自然を理解し、いろんな機械があって(たとえば宇宙を支えてビッグクランチを先延ばしし、銀河間交通も発達し…etc)、という未来を信じて進んでゆくことに面白さがあるのだと考えるようになりました。
滅びる時は滅びるのだから滅びないよう努力するのが、こういう環境に置かれてしまった種として自然な行動だと思いもしました。

しかし、いままで、楽しさにしたがってゼネラリストになり、そうしていろんな分野それぞれに楽しさを感じて知見を積極的に摂取し、あれこれ考えてきた自分にとって、いくらスペシャリストになるとしても底知れない怖さを感じます。そして、もはやゼネラリストでいられる自信なんてありません。

もはや自分はさまざまな可能性があるとしても、その「さまざま」は、昔感じたものとオーダ違いに狭くなっていて、知りかった、忘れてしまった様なものすごい数のこと、もしくは今でも探求したいと願って止まない数々のことが、枕元に立って私をうらめしそうにみているという気がします。
多様性が正義のひとつのような気がしていたものにとって、特化はどことなくうしろめたいものを感じます。

将来への、漠然とした不安という名の、かの文豪も飲み込まれた腹の冷えるような虚空を見つめて、でも自分の立っているところにもまだまだ大きな未達成の領域があって、人類の到達点を、せめてすこし遠いところからでもそれと分かるほど押し広げて、すこしは人々の記憶に残った人になることが、弱くてどうしようもない、かつ限界におぞましさを感じる、ちっぽけな個の人間のできることなのでしょうか。

なんのために生きているのかという意味を考えつづける癖は死んでも治りそうにない。

読み直しもせずにcommit