桜花あどう゛ぇんとかれんだぁ!!!その18!!

http://partake.in/events/dfe7e2b0-78c6-42a0-b672-9e787f3f6c7d ここのネタです。

いおりんですっ>ω<

昨日、まああした一日あるし、ええやろ、とおもってました、でも、今日起きたら親がクリスマスプレゼントを見にいくというのでついていって、実家帰りまであったので、かえってきたら桜花あどべんとの日でした。

ビャァァァァァァァ
なんとー。
なので、なにかかんがえます。

http://tweetstats.com/graphs/iorivur
桜花ちゃんにとってはともかく、ぼくにとっては大切な娘です。

ところで、僕の彼女さんが、桜花ちゃんの妹になりました。

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そこで、僕は桜花ちゃんの義兄にあたるのですが、桜花ちゃんの方がずーっと立派なので、だめです。あたまがあがりません。
これは百合に目覚めた桜花ちゃんと彼女が百合百合になって、ねとられてしまう展開すら考えてしまいます。

そこで、おととい、学校で彼女に桜花ちゃんについてきいてみました。
すると、わたし、かわいいお姉ちゃんがいて、ほんと幸せっ わたしも桜花ちゃんみたいな立派な幼女おねえさんになりたいっ>ω<〜♪v
というので、これはしまぱんをはかせねばならない、それも生きたしまぱんを、とおもいました。


そこであの人にぜひお姉ちゃんのしまぱんを、とおもったのですが、
しまぱんは観測するものではない、描くものなのだ、ということ、しまぱんとこらっ〜><はセットであること、そういうことを考えるうちに、しまぱんは個々人の心の中にあるのだということ、実世界というのは、物質世界に個々人のフィルタのかかったしまぱんを履いた素敵な存在なのだということに思いがいたりました。

世界にみちあふれるしまぱん、たとえば電車、横断歩道、雲、配線、すべてはしまぱんでもあって、しまぱんでなくみえるのはしまぱん世界に心が昇華しきっていない、俗世の見方をしてしまうからなのだ、とさとりました。

桜花ちゃんは、つまりしまぱんの母のような存在は、世界にしまぱんを与えてくれた慈愛に満ちた創造主なのだということがわかります。だからこそ、桜花ちゃんは満ち溢れる母性と幼女性を兼ね備えた存在であるのだということです。

桜花ちゃんはまだまだ若い(4歳)です。桜花ちゃんは、並人よりもずっと歳をとるのがおそいのです。
だから、何人があくせくと悪事を働いても、桜花ちゃんはじーっ… っとそれを見つめていることでしょう。
そうして、こらーっ><してきます。そのときに、素直にごめんなさいの言える人は救済され、桜花ちゃんに叱られても謝れないような人はメッされるのも当然の成り行きといえましょう。

桜花ちゃんの慈愛に満ちたしまぱん世界で、桜花ちゃんに恥じないよう、立派な生き方をするのは、ておくれに生まれたすべての人の使命であるのです。


そのむかしえらいひとはいいました、魚を獲る漁師にいいました、これから人を獲る漁師にしてあげよう。

しかし、その言葉のなんと軽々しいことか。
世界はしまぱんで、人間はそのしまぱんに気づくためにうまれてきたのに、一人の人間とともに歩くために仕事をすてた彼らのなんとかわいそうなことか!
人は立派にいきていることが、つまり心にしまぱんを履くことなのです。
心がしまぱんを履けば、その人の世界はしまぱんになります。しまぱんにあふれた魅惑の世界を一人のエンジニアとして生きるということが、どれだけ大切なことなのか、よく知ってほしいです。

特別になにかを信じたりして、先にしまぱん以外を履いてしまうのはえてして危険なことなのです。
しまぱん以外をひとにはかせることは危険なことなのです。

世界にあふれるしまぱんとともに、一日一日、女子力の高い桜花ちゃんとたのしく生きる、それが人類の救済の道なのです。
たとい戦場で、塹壕でつらい目にあっていてももう一度考えてほしい。いま照準に入れているあの敵兵について、もし彼が男の娘で、しまぱんをはいているとしたら。

心に銃にキーボードに、しまぱんをかかげて世界の平和についてかんがえてほしいです。
それが桜花ちゃんのことでクリスマスを目指すという本当の意味だと思います。
ありがとうございました。